来夢来人の彩回想録

大人の色事の思ひで、回想録、考察etc.

闇ソープの思ひで

あれは、今から何年前の事だろうか?・・・・
まだ、この世にデリヘルという風俗が存在せず、
風俗関連の営業が12時には終了してしまい
女性と触れたくても明け方以降まで待たなくてはならなかった時代の頃の思い出である。



この当時の僕は、社会人としてそれなりに会社に入社して。先輩に連れられて
風俗童貞も卒業して、こうゆう物に対して色々と遊んでみたかった時だった。
下調べも風俗専門誌、新聞、口コミといった今のようなネットで調べて動くという
時代でもなく、はたまた、わざわざお金を出して専門誌で調べるという事もしていなかった。


勿論本屋でエロ系雑誌を買う事の、支払いで店の人との対面でバツが悪い思いをしたくなかったという理由もあるし、ほかの客の人の目も気にしなくてはならず神経を使いたくなったという理由もある(笑)


当時も今もそうなのだが、ソープと言えば吉原である、はたまた江戸時代から名を馳せたことを考えても吉原だったのである。


単純明快思い立ったら行ってみようと確か晩秋の土曜の夜に吉原に向かったのである
車で向かったのだが、これも今じゃ考えられないのであるが、ナビという物がなく
道路標識だけを頼りに向かったものだから営業時間内に吉原に到着することが叶わなかった。
この当時はホント今ほど便利ではなく何か行動を起こすにも前もって予定を組みそれに合わせての準備が必要な時代だったのを思い出をこれを書いていて思い出す。


お金の準備もうろ覚えなんだが、3時?5時?だったか迄におろさなくてならない時代で
昼はどこもATMや銀行が混んでいたのを思い出す・・・


そんな苦労をして現金を用意していたのだが、到着したころは12時を回りすでに1時半から2時位だったと思う。


今だったらすんなりと諦めて帰るのだが、当時は若いし好奇心いっぱい
コインパーキングに車を止めて。吉原を歩いてみようと思いそれを
実行したのだ。


ほんと行動だけが思い出されるのだが、吉原の町の様子やどこを歩いたのかは思い出せない(笑)


ぶらぶら吉原を歩いていると、「お兄さん、遊びにきたの?」
と声をかけられ、「2万でいいから」「ホントは5万だけど」「女の子選べるし、嫌ならやめていいから」
と胸に蝶ネクタイがみえてジャンバーを羽織ってる中年の男性に声をかけられたのである。


必要事項だけいい、軽く笑顔を見せて丁寧な感じで接してきたので、
自分はこくりとうなずき、「じゃあ、ついてきて」と言われ5分くらい黙って後を
ついていった。
店に着いたみたいで表から入るのかなと思ったのだが表の入り口の狭い横にそのまま進んでいき裏手の方へまわり、ごみのポリバケツをよけて、そこに見える出入口に向かいドアを開けそこへ入り込んだ。


裏口なんで簡単なキッチンや冷蔵庫洗濯機などが見える中、通り過ぎてここに座ってと事務所みたいな所へ案内され、お茶を出され待つようにいわれた。明かりも必要最低限で明るいのはこの事務所みたいな所だけで、異次元の引き込まれた感があったのを思い出す。
待つこと数分多分、お店のほうからか、写真を3枚ほど持ってきて選んでいいという。
写真もこの時代はポラロイドので映し方では顔は真っ白お化けみたいに写ってたりしていたものだ。でも3人とも綺麗で5万円のお店の事だけの事はあるなとおもった。
偉そうに言ってるが今も昔も5万越えのソープの経験はない(爆)


スレンダーな感じの女性を選ぶと、部屋に案内され女の子にお金を渡すように言われその中年は消えていった。

直ぐに選んだ女性がきて、現金を渡し、マットで1回、ベッドで2回の2時間くらいの時間プレイしたのだろうか


終わると始発までここにいて休んでいってもよいと言われたのだが、車で来ていることを伝えお店をでて家路に着いた



プレイ内容は満足したし、女の子もきれいで沢山話をして楽しかったのを思い出す。


あの時、なんでこんな感じで営業してるのかを聞くことなく終わってしまったし、それ以来吉原には足を運んでいない。


今にして思えば、彼女たちは次の日の早番でそのまま店来て、隠れて客を呼んで営業したか、その逆で一仕事おえてのバイト営業だったんだろうと思う。ほかに客が来たかは定かではない。よく考えたら土曜日の深夜だったし


こうして回想しながら思い出を書くと色事につけてではあるが当時のいろんな事が
思いだされてくるから面白い。


あの土曜の夜に会った中年の男性と女の子は今どうしてるのだろうか?
面白く、不思議な楽しい時間をありがとう