来夢来人の彩回想録

大人の色事の思ひで、回想録、考察etc.

愛について考える

男と女は
平行線
付かず離れず
レールのごとし








本日のお題は単純に愛という言葉というか、日本人になじみ易い漢字の観点から
考察と自分の意見を取り入れてお話をしたいと思う


漢字の愛は基本3つの部分から成り立っており、受けるという部分の又を抜いた部分+心
+久という部分。久しいではなくホントは違うのだが変換出し方が解りません・・・
受けの方は頭を表現し思う人へ振り向き様子をうかがう意味を表し。心はそのままに
心を表現し、久は人間の足を表現しているそうで、つまり一人の人間が思いを寄せるひとへ立ってその人を身体を向けその人を思い、想い、考え、心を配るという意味をなしてるそうで、その個人が心身共にその人へ注目してる艇である。


まことに漢字の意味はとても深いし面白いと常々思う。一文字に意味がある文字は基本漢字のみで世界にある文字は基本単語を好きな区とも2~3文字組み合わせて初めて意味をもつのでそこに中国5千年の奥深さを感じる。「目=め」と、突っ込みはしないでいただきたい(笑)


さて漢字の成り立ちのお話はここまでにして、この愛という言葉はとても勘違いされて使われちゃいないのかいな?自分は思うのである
「愛してる」と言われれば好きでいてくれていつも楽しい、幸せな状態しか思い浮かばないし、それが続くと思っている。
しかしである。愛には常に愛は裏返しとかいわれて、それに合わせた表現として愛憎劇という言葉が生まれてきて、普通に使われているんだが、
自分はここでおいおいと思うのである。
愛という字は相手に向かいその人を思う事だろ?思うって好きだけとかじゃないでしょ?嫌いとかもあるんじゃなかろうかと・・・
常に物事は表裏一体だし、いいところだけピックアップした使い方をされてる「愛してる」という使われ方はいかがなものかと思うのである。
英語にも言えることでラブとヘイトという言葉で同じような使い方してるな・・・・
そしてライクとう言葉もあるな・・・(笑)



という自分の観点からいえば相手を恨む、憎しむ事も愛ということである


確かに相手を悪い意味で思う事であるがこれも愛と言えると思うし男と女はいつも好き好きでないし喧嘩して嫌いになることもあるであろうし、普通な状態もあるだろう
人に愛してると伝える時に好きな部分嫌いな部分を両方兼ね備えて考えてみることも
必要なのでは、それをすることで、後々にある、こうじゃない、違うとかという言葉が
すくなくなるんじゃないだろうか?


では愛の終わりは?


自分の観点で言えば
思ひでになったとき、好き嫌いという感情の執着消えたとき、人にその恋を話せるようになった時だと思う