来夢来人の彩回想録

大人の色事の思ひで、回想録、考察etc.

エロカセットテープ

いつの世も
男と女の
化かし愛
情けと欲の
隅田川


人は新しい記憶媒体が発明されるとそれを使って色事と可愛い子供の為に使用して
その記憶媒体が世の中に広がっていく


自分は色事は、人の生きる本質であり、そこに本音や建前、裏表、清濁併吞と
全ての物を含みそれが社会世相に反映してると思うのである。
この辺の見識に関してはあくまでも私個人の経験などから発せられるもので
一つの考えとして、目を通す方はああそんなんだ的な感じで観てもらいたい。


さて今回のお題はエロカセットテープ、略してエロカセットである。


昭和50年代の頃かな。エロカセットがあった時代は
解りやすく説明すると
テレビ小説 あまちゃんの主人公天野アキの母親、天野春子の高校生の頃の時代と言えば
解りやすいのであろうか?


当時は音楽を楽しむのはカセットテープに録音、再生して楽しむのが普通だった。
最新音楽、アルバムは、当時はLPというレコードとカセットテープの2種類の
媒体で発売され楽しむのが普通だった。LPは音にうるさい、玄人うけの媒体
カセットは子供からお年寄りを含め、車でも気軽に音を楽しめるもので持ち運びしやすい大きさであり手軽さがうけて挙ってそれをきけるラジカセや車のオーディオを取り付けたりしていた時代でもあった。


今でいう車にオプションでナビ付のCDオーディオを付ける感覚であり、金額もそれなり
だった。


長い長い前置きだが、どうしても時代背景をそえつつ文章をまとめていかないと話が
纏まらないから(笑)しょうがない。色事関係で付け足せば、ソープランドはトルコと言われ、
援助交際という言葉がなかった時代で、風俗自体今のように明るい感覚を持ってやるような人がまだまだ少なかった時代でもある。


エロカセットなんでエロなんであるが、
内容的に今もある小説朗読CDの官能小説をまるまるカセットに録音したものと
隠し録音した男女のエロ行為の音声が録音されているものであった。


前者の方は朗読者と出演の男女の声が録音されていて行為の時の声や男女の声のやりとりが想像を掻き立てるもので、最小の主演の声は男と女だけというのもあり、だいたいが男の回想録的な流れで男がナレーションと本人声で、それに女性一人というような構成で
それなりに車の音や効果音も入って楽しめたものであった。



後者は素人の隠し録音的なもので音も不鮮明で会話などが長かったり無言が長い感じのなど様々なのが多く想像をめぐらすには物足りなかったんじゃないかと思う・・・
でも、この辺は映画「愛の流刑地」の後半でうまく表現されてたりするので一度
隠し録音の色事を一片を見てみることをお勧めする(笑)


で・・・当時は映像もないのだが、この声だけで浮気の証拠とか相手を脅す道具に
カセットも使われた事あるので侮れないのである、当時画像に残すにもポラロイドを
持ってることが重要視された時代でもあり、通常のカメラは・・・素人には扱いずらい媒体でもあった。


横道話が多いのだけど、どうしても書き込んでいて入れておかなくては後々書く事なので
流れで書き込んいる。


で、エロカセットはどこで手に入ったのかであるかだが、当時、ドライブインといわれる
街道沿いにあるレストラン、食堂みたいな所で買えたのである。演歌とかのカセットと
横並びで値段は2000円位だったのだろうか?


エロカセットもいつの間にか、ドライブインから消えていき自然と人々の中からも
そういうものがあったかどうか自体も解らなくなった・・・・



ピンクチラシ

この世は
男と女だけ
善きも悪しきも
纏まり彩りながら
華咲き乱れ



ピンクチラシ


この名を覚えてたり、または実物を覚えている人は今の今いるのだろうか?
これも前回の闇ソープの話の時から幾分か時代を下がっての話で、
町中をある意味で席巻し埋め尽くした代物である。20年ほど前から15年ほど前になるのだろうか?


自分的な感覚的なものではまだまだ携帯電話が出始めの頃で、カメラどころかメール機能さえない携帯電話の頃の思ひでである。


ピンクチラシとは、要はいまでいうデリヘルの案内を書いた。だいたい名刺大の大きさのチラシの事である
デリヘルは今ではお国公認の無店舗型風俗店としてあるのだが
当時は闇風俗であり、名称は「ホテトル」「ホテヘル」と言われてた頃の時代である


前回の回で書いたのだが当時は深夜12時過ぎたら遊びたくても翌日まで待たなければならなかった時代に深夜でも女性と遊べるというやつだった。


ピンクチラシはこの闇風俗の営業手段として、今ではこれも絶滅寸前の公衆電話ボックス内の電話機そばの丁度目線の所にずらっと同じ名刺大のチラシが、10枚ほどきれいに並んで両面テープで貼ってあり、それが、また色んなこの闇風俗の各店のが貼り付けてあるので電話ボックスがチラシに埋まってしまい、遠くからみると電話してる人の下半身しかみえない状態だったりしたのだ。
それだけでなく家のポストににも何種類も同じように投函もしてあった。それは所かまわずで、一軒家、アパート、マンション、会社のポストとポストと名がつく所には投函されていたものだ。
で、朝になると電話ボックスは常にチラシでみえなくなり、その横を小学生などの集団登校が歩いてゆくという笑える状況もうまれ、そのチラシを朝一番でかたずける人がでて
イタチごっこの様相を毎日繰り替えすような事が続いたりもした。かたづけると昼間でも貼り付けるということは日常茶飯事だった。


そのピンクチラシの内容は


人妻・・・電話番号


女性の水着の女の子の写真に電話番号


韓国 電話番号


金バツ、ブロンド・・・・電話番号


という至極簡単でなもので、電話して内容を確認して自宅だったりホテルへ女性を
派遣してもらうという今でいうデリヘルと基本的に変わらないシステムなのだが


当時は闇風俗で非合法で、基本的にプレイ内容は大人の男と女のお付き合いが当たり前だった。



ピンクチラシは深夜に張って歩く、または投函するバイトとしてあり、そこそこ稼げる
バイトとして話題にもなってたりもした。


この当時ピンクチラシを作成、配布、貼り付けしてたのは、人に聞いた話によると
町の印刷屋で、印刷配布を一手に引き受けてやったいたようである。


これも闇風俗が合法化されデリヘルと名を変えると公衆電話ボックス、家のポストから
ピンクチラシは消えてゆき、また、ネットの普及もあり完全にピンクチラシも
人々の記憶の中から忘れ去られていった




闇ソープの思ひで

あれは、今から何年前の事だろうか?・・・・
まだ、この世にデリヘルという風俗が存在せず、
風俗関連の営業が12時には終了してしまい
女性と触れたくても明け方以降まで待たなくてはならなかった時代の頃の思い出である。



この当時の僕は、社会人としてそれなりに会社に入社して。先輩に連れられて
風俗童貞も卒業して、こうゆう物に対して色々と遊んでみたかった時だった。
下調べも風俗専門誌、新聞、口コミといった今のようなネットで調べて動くという
時代でもなく、はたまた、わざわざお金を出して専門誌で調べるという事もしていなかった。


勿論本屋でエロ系雑誌を買う事の、支払いで店の人との対面でバツが悪い思いをしたくなかったという理由もあるし、ほかの客の人の目も気にしなくてはならず神経を使いたくなったという理由もある(笑)


当時も今もそうなのだが、ソープと言えば吉原である、はたまた江戸時代から名を馳せたことを考えても吉原だったのである。


単純明快思い立ったら行ってみようと確か晩秋の土曜の夜に吉原に向かったのである
車で向かったのだが、これも今じゃ考えられないのであるが、ナビという物がなく
道路標識だけを頼りに向かったものだから営業時間内に吉原に到着することが叶わなかった。
この当時はホント今ほど便利ではなく何か行動を起こすにも前もって予定を組みそれに合わせての準備が必要な時代だったのを思い出をこれを書いていて思い出す。


お金の準備もうろ覚えなんだが、3時?5時?だったか迄におろさなくてならない時代で
昼はどこもATMや銀行が混んでいたのを思い出す・・・


そんな苦労をして現金を用意していたのだが、到着したころは12時を回りすでに1時半から2時位だったと思う。


今だったらすんなりと諦めて帰るのだが、当時は若いし好奇心いっぱい
コインパーキングに車を止めて。吉原を歩いてみようと思いそれを
実行したのだ。


ほんと行動だけが思い出されるのだが、吉原の町の様子やどこを歩いたのかは思い出せない(笑)


ぶらぶら吉原を歩いていると、「お兄さん、遊びにきたの?」
と声をかけられ、「2万でいいから」「ホントは5万だけど」「女の子選べるし、嫌ならやめていいから」
と胸に蝶ネクタイがみえてジャンバーを羽織ってる中年の男性に声をかけられたのである。


必要事項だけいい、軽く笑顔を見せて丁寧な感じで接してきたので、
自分はこくりとうなずき、「じゃあ、ついてきて」と言われ5分くらい黙って後を
ついていった。
店に着いたみたいで表から入るのかなと思ったのだが表の入り口の狭い横にそのまま進んでいき裏手の方へまわり、ごみのポリバケツをよけて、そこに見える出入口に向かいドアを開けそこへ入り込んだ。


裏口なんで簡単なキッチンや冷蔵庫洗濯機などが見える中、通り過ぎてここに座ってと事務所みたいな所へ案内され、お茶を出され待つようにいわれた。明かりも必要最低限で明るいのはこの事務所みたいな所だけで、異次元の引き込まれた感があったのを思い出す。
待つこと数分多分、お店のほうからか、写真を3枚ほど持ってきて選んでいいという。
写真もこの時代はポラロイドので映し方では顔は真っ白お化けみたいに写ってたりしていたものだ。でも3人とも綺麗で5万円のお店の事だけの事はあるなとおもった。
偉そうに言ってるが今も昔も5万越えのソープの経験はない(爆)


スレンダーな感じの女性を選ぶと、部屋に案内され女の子にお金を渡すように言われその中年は消えていった。

直ぐに選んだ女性がきて、現金を渡し、マットで1回、ベッドで2回の2時間くらいの時間プレイしたのだろうか


終わると始発までここにいて休んでいってもよいと言われたのだが、車で来ていることを伝えお店をでて家路に着いた



プレイ内容は満足したし、女の子もきれいで沢山話をして楽しかったのを思い出す。


あの時、なんでこんな感じで営業してるのかを聞くことなく終わってしまったし、それ以来吉原には足を運んでいない。


今にして思えば、彼女たちは次の日の早番でそのまま店来て、隠れて客を呼んで営業したか、その逆で一仕事おえてのバイト営業だったんだろうと思う。ほかに客が来たかは定かではない。よく考えたら土曜日の深夜だったし


こうして回想しながら思い出を書くと色事につけてではあるが当時のいろんな事が
思いだされてくるから面白い。


あの土曜の夜に会った中年の男性と女の子は今どうしてるのだろうか?
面白く、不思議な楽しい時間をありがとう